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ビル・ラッセルが起こしたディフェンスの革命:いつの時代にも通用する身体能力とメンタリティ

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Bill Russell and Wilt Chamberlain

2018年のジャミール・ヒルとのインタビューで、コービー・ブライアントはビル・ラッセルとの関係について話している。根っからのバスケットボールオタクだったブライアントが、自身のキャリアでずっと大切にしていたラッセルの教訓の1つを教えてくれた。

ラッセルはブライアントに、自分のドリブルやパスやシュートのスキルは高いが、それらのオフェンススキルはセルティックスのチームメイトのほうが優れているとわかっていたと話した。彼は、セルティックスが最終目標を達成するためにディフェンス面に意識を移さなければならなかったのだ。

「ラッセルは、『私が一番得意なのは守備とリバウンドだから、それにすべてを集中させた。ボールのハンドリングは(ボブ)クージーに任せればよかった。 シュートはサム(ジョーンズ)と(ジョン)ハブリチェックに任せた』と言ったんだ」と、ブライアントはヒルに話している。

「僕は、それがものすごく真理をついていると思った。だから、(シャキール・オニールがロサンゼルス・レイカーズを去った後に)その教訓を生かして2つのチャンピオンシップを勝ち取ったんだ」

ラッセルは、単にセルティックスにおける最高のディフェンダーなんてものではない。11回のNBA優勝を果たし、7月31日(日本時間8月1日)に88歳で亡くなったラッセルは、ディフェンスを芸術の域にまで高め、センターが試合に与える影響に革命を起こしたのだ。

1956年から1969年まで相手チームを圧倒したラッセルだが、彼はどの時代にも容易に適応できただろう。ユニークな身体能力とバスケットボールIQを持ち合わせた彼は、NBA史上で最も威圧的なデフェンスの力となった。

ビル・ラッセルの身体能力

レイカーズのレジェンドであるジェリー・ウェストはかつて、腰に手を当ててコートに立つラッセルは「威厳がある」ように見えたと語っている。ラッセルは、王様のようにペイントを支配できるサイズ(身長約208cm、体重約97.5kg、約223.5cmのウィングスパン)を持っていただけでなく、ペリメーターのガードに付いていくだけのスピードも持っていた。

「彼が試合中に見せた動物的な激しさ以外にも、あの頃の彼のスピードと素早さは、なんだか大人の男性が男の子と遊んでいるようだった」とクージーは言う

そして、ラッセルは自分より才能の劣る選手だけをいじめていたわけではない。オスカー・ロバートソンやエルジン・ベイラーといった歴代の偉大な選手たちも悩ますことがあった。

(via Foobas Sports)

ラッセルは、NBAに入る前から世界最高のハイジャンパーと言われており、その跳躍力がいかにリバウンドやブロックに活かされていたかわかる。

彼は1試合平均22.5リバウンドというとんでもない数字を残し、リバウンドでは長年のライバルであるウィルト・チェンバレンに次ぐ歴代2位となった。ブロックは1973-74シーズンまで正式な統計として認められていなかったため、それを考慮すれば、ラッセルはおそらくトップかトップに近い位置にいたことだろう。

(via NBA)

ブロックでボールをスタンドの奥まで飛ばすのはハイライトでは格好良く見えるが、ラッセルは格好良さを気にしたことはなかった。彼の目標は、ボールをコントロールしてディフェンスのポゼッションを終わらせることだった。

ラッセルのブロックの多くはアウトレットパスを兼ねていて、しばしばボールを自分のところにティップしたり、チームメイトのところに跳ね飛ばしたりしたものだ。彼の空間認識能力、ヘルプポジショニングやタイミングは完璧だった。

(via Foobas Sports)

ビル・ラッセルのメンタリティ

しかし、ラッセルはショットすべてをブロックする必要があるわけではなかった。その時点ではまだこの言葉はNBAの辞書に入っていなかったが、彼こそが「リムプロテクター」の定義、つまり、そこに存在するだけで相手の判断を鈍らせることのできるビッグマンだったのだ。

殿堂入りしたボブ・ペティットも、ラッセルが何度かブロックをした後に、(またブロックに飛んでくるのではと思って)ラッセルを気にしてしまい、オープンレイアップをミスしたことがあると認めている。

「外からシュートしていた選手も含め、みんなラッセルを恐れていたんだ」とジョーンズは言う。

(via Foobas Sports)

「レイアップではうまくいかないとわかっていたから、みんな手前で止まってジャンプショットを打つんだ。彼はとにかくみんなを威圧していたよ」

ラッセルはまた、スカウティングリポートの観点でも時代の先端を走っていた。10年近くラッセルのチームメイトだったトム・ハインソンは、ラッセルは「全員のことを把握していた」と言い、トラッキングデータで詳細なショットチャートが提供されるずっと前から、選手がどの位置を得意とするかを知っていたという。NBAにおける13シーズンのうち10シーズン、ラッセルを指導したレッド・アワーバックは、「1シーズンに2度、同じ動きで彼をだます」ことができた人はいなかったと主張した。

しかし、その心理戦はさらに奥が深いものだった。ブライアントは、ラッセルが試合中たまにチェンバレンに得点させていたことを知る。ラッセルは、チェンバレンを完全に封じ込めてしまったらもっとやる気になってしまうと考えたという。

「だからビルは、ウィルトが満足するように彼にたまに得点をさせていた。そうすれば、ウィルトは満足し続けて、ビルは彼を抑えられると思ったんだ」と、ブライアントは2016年にジャッキー・マクマランに話している。

ラッセルにとってディフェンスとは、ショットをブロックしたりリバウンドを取ったりすることであり、それと同じくらい相手の自信を失わせることでもあった。

「心理的には、オフェンス側の選手が自分がしていることを疑うように仕向けなければならない」とラッセルは言った。

「『これはうまくいくだろうか? このショットを決めることができるだろうか?』という疑念を抱かせるようにしなくてはいけないんだ」

メンタリティと身体能力を融合させるとディフェンスの達人が誕生する。それがラッセルの真骨頂であり、ほかの誰よりも優れていたところなのだ。

原文:How Bill Russell revolutionized defense: Late Celtics legend had physicality, mentality to dominate in any NBA era
翻訳:YOKO B Twitter:@yoko_okc

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著者
Jordan Greer Photo

Jordan Greer is an NBA content producer for The Sporting News.